2003年09月15日

『インファナル・アフェア』

毎週月曜日、ニッカンスポーツ紙に掲載されている高田文夫のコラムで、本日取り上げられていた(←あまり関係ない出だしですねー)『インファナル・アフェア』、私もかなり期待の一本です。年内公開予定の映画で楽しみな作品が全然ないので、なおさらな感がありますが。

どんな作品かは、↑の公式サイトを見てもらうとして、やはり脚本が素晴らしい!という評判の作品には期待が膨らみますね。さらに、予告編のトニー・レオンとアンディ・ラウの男気満載さがまたかっこいいんですよ!あぁ、10月公開が待ち遠しい・・・。

-- 追記 --

以下、ちょっとまじめな話。

基本的に、私は映画とは脚本ありきだと思っています。

どんなに俳優が素晴らしい演技をしても、どんなに監督はじめとするスタッフが映画を面白く見せようとしても、脚本がダメな映画は面白くならないです。逆に、脚本の出来がよければ、俳優が地味でも、多少映画の撮り方がまずくても、十分楽しめるものになると思います。

だから、数ある映画賞でも、「脚本賞」という部門に対しては、それがアカデミー賞であっても結構信頼してしまいます。

よく言われることですが、最近の映画(とくにハリウッド映画)はCG技術の向上もあって、ビジュアル的に素晴らしい作品は沢山あるのですが、内容が伴っているものってごく一部だと思います。逆に、昔の映画(特に、映像がカラーになる以前)は、物理的に不可能な画面をつくることが出来ない分、内容で勝負、という心意気がダイレクトに伝わってきて、実際面白い作品が数多く残されていると思います(昨日の話題「montag創刊号」でもちょっと触れましたが)。

たまに思うのですが、本当の名作とは、何十年経っても名作として語り継がれるわけで、私が好んで観るビリー・ワイルダーやフランク・キャプラ、ハワード・ホークスの作品は、今なお愛好家が沢山いますが、果たして、最近大ヒットした映画のどのくらいが数十年経ったあとでも名作扱いされるんでしょうかねー。

価値観は人それぞれなので、他の人には私のような考えは古臭く思うかも知れません。
ただ、「なかなか面白い脚本が出てこないから、見た目でごかませ」という最近の風潮(と私は感じている)が続くようだと、この先映画産業はどんどん落ちぶれていくだけかと。人間、目新しい刺激にはすぐに順応してしまいますから。
現在、映画に関係する仕事しているからこそ、不安が大きくなってしまうのかもしれませんが。。

話は戻りますが、『インファナル・アフェア』の再映画化権、ハリウッド史上最高の値が付いたそうです。やっぱりネタの枯渇は深刻な問題のようです。

そうそう、このエントリーを書きながら思い出したのですが、今年の春先に公開された『NARC』という映画、とっても地味で私も見逃したのですが、すごく評判が良かったっけなぁ。これも脚本の見せ方の良い例だったようで。ビデオ化されたら見てみるべし。

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投稿者 shaw : 2003年09月15日 15:28

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コメント

生涯に何と261本もの作品を撮ったことでも有名なマキノ雅広という映画監督が、こんな格言を残しています。

「一スジ、二ヌケ、三芝居」

つまり、映画ではスジ(ストーリー=脚本)が一番重要で、次がヌケ(画面のシャープさ、つまり撮影技術)、そして三番目に俳優の演技という順だ、ということです。

また、あの黒澤明も「脚本が良ければ凡庸な監督でもそこそこの作品ができるが、脚本がダメだと名監督でも駄作しか作れない」と言っていたとか。

別にそれに影響されているわけではないと思うけど、私自身も、そんな基準で映画を評価しているような気がします…。

Posted by: Yasu : 2003年09月15日 18:30

Yasuさん、こんばんわ。

脚本の良し悪しのくだり、自分で文章を書いた後、推敲しながらどこかで聞いた事ある内容だなぁと思っていたのですが、そうそう、私も黒澤監督の話を以前何処かで目にして、深く頷いた記憶があります。その印象が強く残っていたんですねー。

マキノ雅広の格言ははじめて知りました。メモメモ。。

Posted by: shaw : 2003年09月15日 23:28

SHAWさん、始めまして、いきなりお邪魔してごめんなさい。
勝手な引用いいのかしら、と思いながらも。シネスケでのコメンテーター仲間のゑぎさんなんかは、以下のように語ってますね。http://www.page.sannet.ne.jp/egi/NetNews/news200102.html#07

私も、ゑぎさんに賛成で完成段階のストーリー至上賛美が、イコール脚本賛美になるのかとは疑っています。
そして、私は、映画の鑑賞時にストーリーの正誤性や、テーマ性をあまり重要視していません。

それはそれにして、90年代以降から今現在のハリウッド映画は、商業的な意味でも、作品の内容的な意味においても、30年代~50年代にかけてのアメリカ映画と同じような黄金期にあると個人的には思っています。大衆に向けた娯楽性と健全な技術進歩に適度の作家主義が存在している様は非常に良い状態だと認知しています。
よくハリウッドの節操の無さと、オリジナリティの欠如として上げられる、他国の映画から脚本を買い漁る行為は、上記の理由やネタの枯渇なんてものではなくて、貪欲な娯楽性の追及の一環だと思っています。
そして、上でも上げた過去の黄金期のハリウッド映画の時代は、もしかしたら今以上に、リメイクが相次いぎ、似たようなストーリーを使用した拡大・縮小再生産が行われ、その中から、生まれた微小な名作が今に残っている、そういう時代でもあったのではないでしょうか。

では、唐突な登場と駄文をごめんなさい。

Posted by: Kavalier : 2003年09月17日 09:31

Kavalierさん、こんばんわ。
Yasuさん同様、私の拙い文章に反応してくれて嬉しいです。

さて、カヴァさんが引用された、ゑぎさんの文章をさっそく私も拝見しました。
映画とテレビドラマを比較してからの、脚本に対する考えかた、なるほどと考えさせられました。ただですね、私はやはり脚本は重要だと思っています。

例えば、『明日に向かって撃て』と『スティング』。
共に監督は最近なくなられたジョージ・ロイ・ヒルで、主演もレッドフォードとポール・ニューマンのコンビで同じです。
つまり、演出、演技にはそれほど差がないと仮定したとして、けれど実際には好き嫌いははっきり分かれると思います。私は断然『スティング』が好きですし、『明日に~』はそんなに好きではなかったりします。
これは脚本の良し悪しではなくて、単純に脚本の好き嫌いの差だと思いますが(両作品とも、アカデミー賞において脚本賞を受賞していますしね)、だけれども脚本に左右されていることには違いないかなぁと思うわけでして。

ここまで書きながら、カヴァさんやゑぎさんのいっている「脚本」と私の考えている「脚本」の定義には大きな違いがあるのかもな、という気がしてきました。この話題に関しては、これからもたびたび考えていこうと思っています。

90年代以降のハリウッド映画が、昔のハリウッド黄金期と同じような状況にある、というカヴァさんの意見には半分以上同意です。明らかに、「商業的な」成功は果たしていると思います。「内容的に」も成功している作品は数多くあるのも事実だと思います。
先日このエントリーにて、「最近の映画には、昔ほどの名作はない」と捉えられてもおかしくない書き方を私はしたのですが、そう言いながらも90年代の映画には傑作が多いと私も思ってますし。

私自身の、まだまだ未熟な映画知識では、ハリウッド黄金期のほんの片隅(しかも良かった面ばかり)しか見えていないため、あの時代には名作がごまんとあったという思い込みがあるのかもしれませんねー。確かに、全洋画ONLINEで、面白かった往年の名作を鑑賞後に検索してみたら「20年代の○○のリメイク」のような注釈を見かけることもしばしばあります。この辺りは、まだまだ未見の映画が多い、ということと、知識不足からくる問題が大きいので、今後も精進していきたいと思ってます。

というわけで、このようなご意見は大歓迎です。
今後ともよろしくです。そして、長文による返信でごめんなさい(下手なエントリーよりも長くなってしまった)。

Posted by: shaw : 2003年09月18日 02:08

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